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安倍論文「アジアのセキュリティダイヤモンド構想」とインド国会安倍演説

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先日の 日露会談 後ネット上の反応を見ていると、領土問題に注目が集まるのは当然とはいえ、それにしても安全保障に対する関心が低いことに気づく。
今回は、もしかしたら知る人が少ないかもしれない安倍首相の「アジアの民主主義セキュリティダイアモンド構想」(自由で開かれたインド太平洋)をご紹介したい。

その前に余談だが一言いいたい。プーチン来日で印象に残ったのはメディアの体たらくまるでロシアの広告塔だった。ロシアの言い分ばかりをそのまま報道している。
いつものようにメディアの情報戦は、自らすすんで日本の負け。そしてそれは、海外報道にも影響を与えた。こういうところがマスコミが嫌われる所以だろう。
いつものことだが、悲しかった。

もちろん国民にとって一番の関心事は領土問題であり、分かりやすいテーマではある。
しかし、パワーバランスが変化する世界情勢の中で日本の安全・国益を考えるとき、安全保障やエネルギー問題は絶対に見過ごすことはできない国を守る力がなければ、また新たに領土が奪われる可能性だってある

目の前にある危機を見据えたうえで、最悪の事態を想定しなくてはならないのが国防なのだ。

産経新聞の日露首脳会談解説

今回の日露首脳会談の報道で最も冷静に解説したのは、産経新聞ではないかと思う。

先日の記事でも敬意を表したが、産経新聞の記者 阿比留氏のプーチンへの質問 も素晴らしかった。質問の内容もさることながら、阿比留氏の声は震えているように聞こえた。痛いほど国を思う気持ちが伝わってきた。わたしも全く同じ気持ちだ。その質問は国民の声を代表していた。

この質問でプーチン大統領は初めて「平和条約が最も大切」と述べ、2島返還の道筋について言及した。阿比留氏がプーチンに投げかけた質疑は、プーチンの冒頭発言を上回る、会見で最も意義深い内容だった

産経新聞の今回の報道でよかったのは、たとえば以下の記事。
日露会談の鍵となる部分を解説している。

Asia’s Democratic Security Diamond セキュリティダイヤモンド構想

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表面だけ見れば非常に簡単な内容だ。だがこれには根拠がある。

Asia’s Democratic Security Diamond セキュリティダイヤモンド構想左は、上の地図だけ切り取ったもの。

右下に「安全保障のダイヤモンド構想」と書かれているが、このダイヤモンド構想をどれぐらいの方がご存じだろうか。

ダイヤモンドは、日本・アメリカ・インド・オーストラリアを結び、この地図ではロシアからも矢印が伸びている。

ロシアとの首脳会談はこの地図の通り、対中国を意識した安全保障が大きく関係していると考えてよいだろう。だからこそ、中国の国営通信も激しく批判するのだ。

日露首脳会談が行われる前は次期大統領に選出されたトランプの存在がマイナスに働くことを危惧したが、この点で言えばプラスに働く可能性がある。

今回はこのダイヤモンド構想の論文を記録しておこう。

このような土台となる構想の上に、安倍外交は成り立っている

安倍論文『アジアの民主主義セキュリティダイアモンド』

この安倍首相の英語論文が発表されたのはすでに4年前、2012年のこと。
プラハの国際NPO団体「プロジェクトシンジケート」のサイト上で発表された。

安倍首相の発言を繋げて考えれば、第一次安倍政権のときにはすでにあった構想だろう。

内容は、第一次安倍内閣末期、インド国会で行われた安倍演説の回想で始まる。集まった議員の拍手喝采を浴び高い評価を得たが、日本ではほとんど報道されなかった。

ところで「プロジェクトシンジケート」は世界各国の新聞社・通信社と提携しており、各国要人のインタビュー記事を配信したり、オピニオン集として『プロジェクトシンジケート叢書』を出版している。安倍首相も幾度か名を連ねたことがある。例えば右に表示した本がその1つだ。

日本からも 朝日新聞・読売新聞・日本経済新聞が会員となっているが、報道されなかった

しかしこの論文は、政権が何を考えどう動こうとしているのか、気づくことが多い重要な論文だ。安倍首相は決して、「海外訪問が好きだから」という個人的な好みで闇雲に飛び回っているわけではない。これを読めばきっと安倍外交の輪郭を垣間見ることができるだろう。

Asia’s Democratic Security Diamond<英文>

Asia’s Democratic Security Diamond セキュリティダイヤモンド構想

TOKYO – In the summer of 2007, addressing the Central Hall of the Indian Parliament as Japan’s prime minister, I spoke of the “Confluence of the Two Seas”(次項参照) – a phrase that I drew from the title of a book written by the Mughal prince Dara Shikoh in 1655 – to the applause and stomping approval of the assembled lawmakers. In the five years since then, I have become even more strongly convinced that what I said was correct.

Peace, stability, and freedom of navigation in the Pacific Ocean are inseparable from peace, stability, and freedom of navigation in the Indian Ocean. Developments affecting each are more closely connected than ever. Japan, as one of the oldest sea-faring democracies in Asia, should play a greater role in preserving the common good in both regions.

Yet, increasingly, the South China Sea seems set to become a “Lake Beijing,” which analysts say will be to China what the Sea of Okhotsk was to Soviet Russia: a sea deep enough for the People’s Liberation Army’s navy to base their nuclear-powered attack submarines, capable of launching missiles with nuclear warheads. Soon, the PLA Navy’s newly built aircraft carrier will be a common sight – more than sufficient to scare China’s neighbors.

That is why Japan must not yield to the Chinese government’s daily exercises in coercion around the Senkaku Islands in the East China Sea. True, only Chinese law-enforcement vessels with light weaponry, not PLA Navy ships, have entered Japan’s contiguous and territorial waters. But this “gentler” touch should fool no one. By making these boats’ presence appear ordinary, China seeks to establish its jurisdiction in the waters surrounding the islands as a fait accompli.

If Japan were to yield, the South China Sea would become even more fortified. Freedom of navigation, vital for trading countries such as Japan and South Korea, would be seriously hindered. The naval assets of the United States, in addition to those of Japan, would find it difficult to enter the entire area, though the majority of the two China seas is international water.

Anxious that such a development could arise, I spoke in India of the need for the Indian and Japanese governments to join together to shoulder more responsibility as guardians of navigational freedom across the Pacific and Indian oceans. I must confess that I failed to anticipate that China’s naval and territorial expansion would advance at the pace that it has since 2007.

The ongoing disputes in the East China Sea and the South China Sea mean that Japan’s top foreign-policy priority must be to expand the country’s strategic horizons. Japan is a mature maritime democracy, and its choice of close partners should reflect that fact. I envisage a strategy whereby Australia, India, Japan, and the US state of Hawaii form a diamond to safeguard the maritime commons stretching from the Indian Ocean region to the western Pacific. I am prepared to invest, to the greatest possible extent, Japan’s capabilities in this security diamond.

My opponents in the Democratic Party of Japan deserve credit for continuing along the path that I laid out in 2007; that is to say, they have sought to strengthen ties with Australia and India.

Of the two countries, India – a resident power in East Asia, with the Andaman and Nicobar Islands sitting at the western end of the Strait of Malacca (through which some 40% of world trade passes) – deserves greater emphasis. Japan is now engaged in regular bilateral service-to-service military dialogues with India, and has embarked on official trilateral talks that include the US. And India’s government has shown its political savvy by forging an agreement to provide Japan with rare earth minerals – a vital component in many manufacturing processes – after China chose to use its supplies of rare earths as a diplomatic stick.

I would also invite Britain and France to stage a comeback in terms of participating in strengthening Asia’s security. The sea-faring democracies in Japan’s part of the world would be much better off with their renewed presence. The United Kingdom still finds value in the Five Power Defense Arrangements with Malaysia, Singapore, Australia, and New Zealand. I want Japan to join this group, gather annually for talks with its members, and participate with them in small-sized military drills. Meanwhile, France’s Pacific Fleet in Tahiti operates on a minimal budget but could well punch above its weight.

That said, nothing is more important for Japan than to reinvest in its alliance with the US. In a period of American strategic rebalancing toward the Asia-Pacific region, the US needs Japan as much as Japan needs the US. Immediately after Japan’s earthquake, tsunami, and nuclear disaster in 2011, the US military provided for Japan the largest peacetime humanitarian relief operation ever mounted – powerful evidence that the 60-year bond that the treaty allies have nurtured is real. Deprived of its time-honored ties with America, Japan could play only a reduced regional and global role.

I, for one, admit that Japan’s relationship with its biggest neighbor, China, is vital to the well-being of many Japanese. Yet, to improve Sino-Japanese relations, Japan must first anchor its ties on the other side of the Pacific; for, at the end of the day, Japan’s diplomacy must always be rooted in democracy, the rule of law, and respect for human rights. These universal values have guided Japan’s postwar development. I firmly believe that, in 2013 and beyond, the Asia-Pacific region’s future prosperity should rest on them as well.

Shinzo Abe is Prime Minister of Japan and President of the Liberal Democratic Party. He wrote this article in mid November, before Japan’s elections.

出典:Project Syndicate

「アジアの民主主義セキュリティダイアモンド」<和訳>

2007年の夏、インド国会のセントラルホールで日本の首相として演説した際、私は「二つの海の交わり」(次項参照) -1655年にムガル帝国の皇子ダーラー・シコーによって書かれた本の題名から引用したフレーズ- について話し、集まった議員の賛同と拍手喝采を得た。あれから5年を経て、私は自分の発言が正しかったことをさらに強く確信した。

太平洋の平和、安定、航海の自由は、インド洋における平和、安定、航海の自由とは切り離せない。それぞれに影響を及ぼす開発は両者を密接に結びつけている。日本はアジアにおける最古の海洋民主国家の一国で、両地域の共通利益を保護する上でより大きな役割を果たすべきである。

しかし、ますます南シナ海は「北京の湖」となっていくように見える。オホーツク海がソ連の内海となったと同じように、南シナ海も中国の内海となるだろうとアナリストたちは言う。南シナ海は、人民解放軍の海軍が核兵器保有基地を建設したり、核弾頭搭載ミサイルを発射可能な原潜が基地とするに十分な深さがある。中国海軍によって間もなく新たに建設される空母は、中国の隣国を恐れさせるに十分なものである。

だからこそ、中国政府が東シナ海の尖閣諸島周辺で毎日繰り返す演習に、日本は屈してはならない。確かに、中国海軍の船ではなく、軽武装の法執行艦が日本の領海および接続水域に進入してきた。しかし、このような“穏やかな接触”に誰も騙されてはならない。これらの船の存在を日常的に示すことで、中国は尖閣周辺の海に対する領有権を既成事実化しようとしているのだ。

もし日本が屈すれば、南シナ海はさらに要塞化されるだろう。日本や韓国のような貿易国にとって必要不可欠な航行の自由は深刻な妨害を受ける。中国の海域の大部分は国際海域であるにもかかわらず、日米両国の海軍力がこの地域に入ることは難しくなる。

このような事態が生じることを懸念し、日印両政府が、太平洋とインド洋の航行の自由を守る責任者として、共により大きな責任を負う必要があることを、私はインドで述べた。しかし私は中国の海軍力と領域拡大が2007年以来のペースで進むとは予想していなかったことを告白せねばならない。

東シナ海と南シナ海で継続中の紛争は、日本外交政策の最高優先課題は国の戦略的な限界を拡大することでなければならないことを意味する。日本は成熟した海洋民主国家であり、その親密なパートナーもこの事実を反映すべきだ。私は、オーストラリア、インド、日本、米国ハワイが、インド洋地域から西太平洋に広がる海洋権益を保護するダイアモンドを形成する戦略を構想している。私はこのセキュリティダイヤモンドの日本の能力を最大限につぎ込む用意がある。

対抗勢力の民主党は、私が2007年に描いた道を歩むことを評価している。つまり、彼らはオーストラリアやインドとの絆を強化しようと努めてきた。

両国のうちインドでは、マラッカ海峡の西端にあるアンダマン島とニコバル諸島の居住権(東アジアでは世界貿易の約40%が通過する)が重視される。日本は現在、インドとの定期的な二国間軍事対話を継続的に行っており、アメリカを含む公式な三者協議にも着手した。中国が、製造業に必要不可欠なレアアースの輸出制限を外交的な武器として使うことを選んで以後、インド政府は日本との間にレアアース供給の合意を結ぶ上で精通した手腕を示した

私はまた、アジアのセキュリティを強化するため、イギリスやフランスにもまた舞台にカムバックするよう招待する。海洋民主国家たる日本の世界における役割は、英仏の新たなプレゼンスとともにあることが賢明である。英国は依然として、マレーシア、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランドとの五カ国防衛取極に価値を見いだしている。私は、日本がこのグループに加わり、毎年そのメンバーと会談し、小規模な軍事演習にも加わることを望む。一方、タヒチのフランス太平洋海軍は極めて少ない予算で動いているが、いずれ重要性を増す可能性がある。

とはいえ、日本にとって米国との同盟再構築以上に重要なことはない。アメリカのアジア太平洋地域における戦略的再編期に、日本が米国を必要とするのと同じぐらいに、米国もまた日本を必要としている。2011年に発生した日本の地震、津波、原子力災害の直後、ただちに米軍は最大の平時の人道支援活動を提供した。60年かけて成長した日米同盟が本物であることの力強い証拠である。

私は、日本と最大の隣国たる中国の関係が多くの日本国民の幸福にとって必要不可欠だと認めている。しかし、日中関係を向上させるなら、日本はまず太平洋の反対側との関係を固めなければならない。日本外交は民主主義、法の支配、人権尊重に常に根ざしていなければならない。これらの普遍的な価値は戦後の日本外交を導いてきた。私は2013年以降も、アジア太平洋地域における将来の繁栄もまた、それらの価値の上にあるべきだと確信している。

安倍晋三首相は自民党の内閣総理大臣である。彼は、11月中旬に日本の選挙の前にこの記事を書いた。

インド国会における安倍総理大臣演説「二つの海の交わり」
Confluence of the Two Seas

以下が、インドで高い評価を得た安倍演説だ。

平成19年8月22日

モハンマド・ハミド・アンサリ上院議長、
マンモハン・シン首相、
ソームナート・チャタジー下院議長、
インド国民を代表する議員の皆様と閣僚、大使、並びにご列席の皆様、

初めに私は、いまこの瞬間にも自然の大いなる猛威によって犠牲となり、苦しみに耐えておられる方々、ビハール州を中心とする豪雨によって多大の被害を受けたインドの皆様に、心からなるお見舞いを申し上げたいと思います。

さて、本日私は、世界最大の民主主義国において、国権の最高機関で演説する栄誉に浴しました。これから私は、アジアを代表するもう一つの民主主義国の国民を代表し、日本とインドの未来について思うところを述べたいと思っています。

The different streams, having their sources in different places, all mingle their water in the sea.

インドが生んだ偉大な宗教指導者、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(Swami Vivekananda)の言葉をもって、本日のスピーチを始めることができますのは、私にとってこのうえない喜びであります。

皆様、私たちは今、歴史的、地理的に、どんな場所に立っているでしょうか。この問いに答えを与えるため、私は1655年、ムガルの王子ダーラー・シコー(Dara Shikoh)が著した書物の題名を借りてみたいと思います。

すなわちそれは、「二つの海の交わり」(Confluence of the Two Seas)が生まれつつある時と、ところにほかなりません。

太平洋とインド洋は、今や自由の海、繁栄の海として、一つのダイナミックな結合をもたらしています。従来の地理的境界を突き破る「拡大アジア」が、明瞭な形を現しつつあります。これを広々と開き、どこまでも透明な海として豊かに育てていく力と、そして責任が、私たち両国にはあるのです。

私は、このことをインド10億の人々に直接伝えようとしてまいりました。だからこそ私はいま、ここ「セントラル・ホール」に立っています。インド国民が選んだ代議員の皆様に、お話ししようとしているのです。

* *

日本とインドの間には、過去に幾度か、お互いを引き合った時期がありました。

ヴィヴェーカーナンダは、岡倉天心なる人物――この人は近代日本の先覚にして、一種のルネサンス人です――が、知己を結んだ人でありました。岡倉は彼に導かれ、その忠実な弟子で有名な女性社会改革家、シスター・ニヴェーディター(Sister Nivedita)とも親交を持ったことが知られています。

明日私は、朝の便でコルカタへ向かいます。ラダビノード・パール(Radhabinod Pal)判事のご子息に、お目にかかることとなるでしょう。極東国際軍事裁判で気高い勇気を示されたパール判事は、たくさんの日本人から今も変わらぬ尊敬を集めているのです。

ベンガル地方から現れ、日本と関わりを結んだ人々は、コルカタの空港が誇らしくも戴く名前の持ち主にせよ、ややさかのぼって、永遠の詩人、ラビンドラナート・タゴールにしろ、日本の同時代人と、いずれも魂の深部における交流を持っていました。まったく、近代において日本とインドの知的指導層が結んだ交わりの深さ、豊かさは、我々現代人の想像を超えるものがあります。

にもかかわらず、私はある確信を持って申し上げるのですが、いまインドと日本の間に起きつつある変化とは、真に前例を見ないものです。第一に、日本における今日のインド熱、インドにおける例えば日本語学習意欲の高まりが示しているように、それは一部特定層をはるかに超えた国民同士、大衆相互のものです。

背後にはもちろん、両国経済が関係を深めていくことへの大きな期待があります。その何より雄弁な証拠は、今回の私の訪問に、日本経団連会長の御手洗富士夫さん始め、200人ちかい経営者が一緒に来てくれていることです。

第二に、大衆レベルでインドに関心を向けつつある日本人の意識は、いま拡大アジアの現実に追いつこうとしています。利害と価値観を共にする相手として、誰に対しても透明で開かれた、自由と繁栄の海を共に豊かにしていく仲間として、日本はインドを「発見」(The Discovery of India)し直しました。

インドでは、日本に対して同じような認識の変化が起きているでしょうか。万一まだだとしても、今日、この瞬間をもって、それは生じたと、そう申し上げてもよろしいでしょうか?

* *

ここで私は、インドが世界に及ぼした、また及ぼし得る貢献について、私見を述べてみたいと思います。当の皆様に対して言うべき事柄ではないかもしれません。しかし、すぐ後の話に関連してまいります。

インドが世界史に及ぼすことのできる貢献とはまず、その寛容の精神を用いることではないでしょうか。いま一度、1893年シカゴでヴィヴェーカーナンダが述べた意味深い言葉から、結びの部分を引くのをお許しください。彼はこう言っています。

“Help and not Fight”, “Assimilation and not Destruction”, “Harmony and Peace and not Dissension.”

今日の文脈に置き換えてみて、寛容を説いたこれらの言葉は全く古びていないどころか、むしろ一層切実な響きを帯びていることに気づきます。

アショカ王の治世からマハトマ・ガンディーの不服従運動に至るまで、日本人はインドの精神史に、寛容の心が脈々と流れているのを知っています。

私はインドの人々に対し、寛容の精神こそが今世紀の主導理念となるよう、日本人は共に働く準備があることを強く申し上げたいと思います。

私が思うインドの貢献とは第二に、この国において現在進行中の壮大な挑戦そのものであります。

あらゆる統計の示唆するところ、2050年に、インドは世界一の人口を抱える国となるはずです。また国連の予測によれば、2030年までの時期に区切っても、インドでは地方から大小都市へ、2億7000万人にものぼる人口が新たに流れ込みます。

インドの挑戦とは、今日に至る貧困との闘いと、人口動態の変化に象徴的な社会問題の克服とを、あくまで民主主義において成し遂げようとしている、それも、高度経済成長と二つながら達成しようとしているという、まさしくそのことであろうと考えるのです。

一国の舵取りを担う立場にある者として、私は皆様の企図の遠大さと、随伴するであろう困難の大きさとに、言葉を失う思いです。世界は皆様の挑戦を、瞳を凝らして見つめています。私もまた、と申し添えさせていただきます。

* *

皆様、日本はこのほど貴国と「戦略的グローバル・パートナーシップ」を結び、関係を太く、強くしていくことで意思を一つにいたしました。貴国に対してどんな認識と期待を持ってそのような判断に至ったのか、私はいま私見を申し述べましたが、一端をご理解いただけたことと思います。

このパートナーシップは、自由と民主主義、基本的人権の尊重といった基本的価値と、戦略的利益とを共有する結合です。

日本外交は今、ユーラシア大陸の外延に沿って「自由と繁栄の弧」と呼べる一円ができるよう、随所でいろいろな構想を進めています日本とインドの戦略的グローバル・パートナーシップとは、まさしくそのような営みにおいて、要(かなめ)をなすものです。

日本とインドが結びつくことによって、「拡大アジア」は米国や豪州を巻き込み、太平洋全域にまで及ぶ広大なネットワークへと成長するでしょう。開かれて透明な、ヒトとモノ、資本と知恵が自在に行き来するネットワークです。

ここに自由を、繁栄を追い求めていくことこそは、我々両民主主義国家が担うべき大切な役割だとは言えないでしょうか。

また共に海洋国家であるインドと日本は、シーレーンの安全に死活的利益を託す国です。ここでシーレーンとは、世界経済にとって最も重要な、海上輸送路のことであるのは言うまでもありません。

志を同じくする諸国と力を合わせつつ、これの保全という、私たちに課せられた重責を、これからは共に担っていこうではありませんか。

今後安全保障分野で日本とインドが一緒に何をなすべきか、両国の外交・防衛当局者は共に寄り合って考えるべきでしょう。私はそのことを、マンモハン・シン首相に提案したいと思っています。

* *

ここで、少し脱線をいたします。貴国に対する日本のODAには、あるライトモティーフがありました。それは、「森」と「水」にほかなりません。

例えばトリプラ州において、グジャラート州で、そしてタミル・ナード州で、森の木を切らなくても生計が成り立つよう、住民の皆様と一緒になって森林を守り、再生するお手伝いをしてまいりました。カルナタカ州でも、地域の人たちと一緒に植林を進め、併せて貧困を克服する手立てになる事業を進めてきました。

それから、母なるガンジスの流れを清めるための、下水道施設の建設と改修、バンガロールの上下水道整備や、ハイデラバードの真ん中にあるフセイン・サーガル湖の浄化――これらは皆、インドの水よ、清くあれと願っての事業です。

ここには日本人の、インドに対する願いが込められています。日本人は、森をいつくしみ、豊富な水を愛する国民です。そして日本人は、皆様インドの人々が、一木一草に命を感じ、万物に霊性を読み取る感受性の持ち主だということも知っています。自然界に畏れを抱く点にかけて、日本人とインド人にはある共通の何かがあると思わないではいられません。

インドの皆様にも、どうか森を育て、生かして欲しい、豊かで、清浄な水の恩恵に、浴せるようであってほしいと、日本の私たちは強く願っています。だからこそ、日本のODAを通じた協力には、毎年のように、必ず森の保全、水質の改善に役立つ項目が入っているのです。

私は先頃、「美しい星50(Cool Earth 50)」という地球温暖化対策に関わる提案を世に問いました。温室効果ガスの排出量を、現状に比べて「50」%、20「50」年までに減らそうと提案したものです。

私はここに皆様に呼びかけたいと思います。「2050年までに、温室効果ガス排出量をいまのレベルから50%減らす」目標に、私はインドと共に取り組みたいと思います。

私が考えますポスト京都議定書の枠組みとは、主な排出国をすべて含み、その意味で、いまの議定書より大きく前進するものでなくてはなりません。各国の事情に配慮の行き届く、柔軟で多様な枠組みとなるべきです。技術の進歩をできるだけ取り込み、環境を守ることと、経済を伸ばすこととが、二律背反にならない仕組みとしなくてはなりません。

インド国民を代表する皆様に、申し上げたいと思います。自然との共生を哲学の根幹に据えてこられたインドの皆様くらい、気候変動との闘いで先頭に立つのにふさわしい国民はありません。

どうか私たちと一緒になって、経済成長と気候変動への闘いを両立させる、難しいがどうしても通っていかなくてはならない道のりを、歩いて行ってはくださいませんでしょうか。無論、エネルギー効率を上げるための技術など、日本としてご提供できるものも少なくないはずであります。

* *

先ほどご紹介しましたとおり、私の今度の旅には、日本を代表する企業の皆様が200人ちかく、一緒に来てくれています。まさに今、この時間帯、インド側のビジネスリーダーとフォーラムを開き、両国関係強化の方策を論じてくださっているはずです。

こうなると、私も、日本とインドとの間で経済連携協定を、それも、世界の模範となるような包括的で質の高い協定を一刻も早く結べるよう、日本側の交渉担当者を励まさなくてはなりません。インドの皆様にも、早く締結できるようご支持を賜りたいと、そう思っております。

両国の貿易額はこれから飛躍的に伸びるでしょう。あと3年で200億ドルの線に達するのはたぶん間違いないところだと思います。

シン首相は、ムンバイとデリー、コルカタの総延長2800キロメートルに及ぶ路線を平均時速100キロの貨物鉄道で結ぶ計画に熱意を示しておいでです。あと2カ月もすると、開発調査の最終報告がまとまります。大変意義のある計画ですから、これに日本として資金の援助ができるよう、積極的に検討しているところです。

そしてもう一つ、貨物鉄道計画を核として、デリーとムンバイを結ぶ産業の大動脈をつくろうとする構想については、日本とインドの間で今いろいろと議論を進めています。とくにこの構想を具体化していくための基金の設立に向けて、インド政府と緊密に協力していきたいと考えています。

今夕、私はシン首相とお目にかかり、日本とインドの関係をこれからどう進めていくか、ロードマップをご相談するつもりです。会談後に、恐らくは発表することができるでありましょう。

この際インド国民の代表であられる皆様に申し上げたいことは、私とシン首相とは、日本とインドの関係こそは「世界で最も可能性を秘めた二国間関係である」と、心から信じているということです。「強いインドは日本の利益であり、強い日本はインドの利益である」という捉え方においても、二人は完全な一致を見ています。

* *

インド洋と太平洋という二つの海が交わり、新しい「拡大アジア」が形をなしつつある今、このほぼ両端に位置する民主主義の両国は、国民各層あらゆるレベルで友情を深めていかねばならないと、私は信じております。

そこで私は、今後5年にわたり、インドから毎年500人の若者を日本へお迎えすることといたしました。日本語を勉強している人、教えてくれている人が、そのうちの100人を占めるでしょう。これは、未来の世代に対する投資にほかなりません。

しかもそれは、日本とインド両国のためはもとよりのこと、新しい「拡大アジア」の未来に対する投資でもあるのです。世界に自由と繁栄を、そしてかのヴィヴェーカーナンダが説いたように異なる者同士の「共生」を、もたらそうとする試みです。

それにしても、インドと日本を結ぶ友情たるや、私には確信めいたものがあるのですが、必ず両国国民の、魂の奥深いところに触れるものとなるに違いありません。

私の祖父・岸信介は、いまからちょうど50年前、日本の総理大臣として初めて貴国を訪問しました。時のネルー首相は数万の民衆を集めた野外集会に岸を連れ出し、「この人が自分の尊敬する国日本から来た首相である」と力強い紹介をしたのだと、私は祖父の膝下(しっか)、聞かされました。敗戦国の指導者として、よほど嬉しかったに違いありません。

また岸は、日本政府として戦後最初のODAを実施した首相です。まだ貧しかった日本は、名誉にかけてもODAを出したいと考えました。この時それを受けてくれた国が、貴国、インドでありました。このことも、祖父は忘れておりませんでした。

私は皆様が、日本に原爆が落とされた日、必ず決まって祈りを捧げてくれていることを知っています。それから皆様は、代を継いで、今まで四頭の象を日本の子供たちにお贈りくださっています。

ネルー首相がくださったのは、お嬢さんの名前をつけた「インディラ」という名前の象でした。その後合計三頭の象を、インド政府は日本の動物園に寄付してくださるのですが、それぞれの名前はどれも忘れがたいものです。

「アーシャ(希望)」、「ダヤー(慈愛)」、そして「スーリヤ(太陽)」というのです。最後のスーリヤがやって来たのは、2001年の5月でした。日本が不況から脱しようともがき、苦しんでいるその最中、日本の「陽はまた上る」と言ってくれたのです。

これらすべてに対し、私は日本国民になり代わり、お礼を申し上げます。

* *

最後に皆様、インドに来た日本人の多くが必ず目を丸くして驚嘆するのは、なんだかご存知でしょうか。

それは、静と動の対照も鮮やかな「バラタナティアム」や、「カタック・ダンス」といったインドの舞踊です。ダンサーと演奏家の息は、リズムが精妙を極めた頂点で、申し合わせたようにピタリと合う。――複雑な計算式でもあるのだろうかとさえ、思いたがる向きがあるようです。

インドと日本も、そんなふうに絶妙の同調を見せるパートナーでありたいものです。いえ必ずや、なれることでありましょう。

ご清聴ありがとうございました。

出典:外務省

自由で開かれたインド太平洋とは|外務省資料

PCでご覧の方は、それぞれクリックで拡大します。

自由で開かれたインド太平洋 基本的な考え方 1
自由で開かれたインド太平洋 基本的な考え方 2
自由で開かれたインド太平洋 基本的な考え方 3
自由で開かれたインド太平洋 基本的な考え方 4
自由で開かれたインド太平洋 基本的な考え方 5

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