大田俊寛氏、オウムを巡る5人の研究者批判と『現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇』
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以前、宮崎哲弥氏が大田俊寛氏の『オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義』を、「オウムの教義問題を真芯から捉えた本なのでぜひ読んでもらいたい」と、わたしが知るだけで2度紹介した。
それで関心を持ち、大田氏が出演する『大田俊寛×モーリー「21世紀の宗教学〜オウムとカルトと原理主義〜」』という動画を見つけた。そこでは、なんと宮崎哲弥氏が紹介した『オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義』の中身について語っていた。ど真ん中!
その動画ではまず、日本人研究者に対する批判が行われる。
オウム論、五人の代表的な日本人研究者への批判
オウムを論じた学問的著作は、オウムのような宗教団体が発生した原因について、客観的な分析を行うことができたのだろうか。
残念ながらその答えは、明らかに否である。
まず、オウムについて未だに学問的分析がなされていない、と前置き。これを否定できる人はいないだろう。そして、
90年代半ばの当時は、「ポストモダニズム」や「ニューアカデミズム」と呼ばれる反近代主義的なイデオロギーがなお強い影響力を保っていたこともあり、オウムに関する言説は、そうした潮流に大きく左右された。
(中略)ここでは、五人の代表的な日本人研究者によるオウム論を取り上げ、それらについて批判的に論評しておくことにしよう。
この「五人の代表的な日本人研究者」が誰であるか。
それは、中沢新一、宮台真司、大澤真幸、島薗進、島田裕巳。
大田氏は、この5人をバッサバサと批判。
一時期の中沢や宮台らの振る舞いに見え隠れしていたものだが、ポストモダニズム的な「超人」幻想に自ら感染し、自身を一人のカリスマとして演出しようとするかのような態度は、学問に携わる一研究者として守るべき規矩を明らかに逸脱したものであり、論外である。
これも、多くの人が感じていることだと思う。わたしは、いまだに堂々とメディアでドヤ顔をし、事あるごとに政治的な活動を始める宮台氏に、大きな疑問を感じる。
大田氏のこの5人に対する発言をちょっとご紹介しますね。
中沢新一
大田「20歳の頃までは僕も信者と言うかビリーバーの一人だったんですけど、中沢さんが『虹の階梯』なんかを書いて浅原彰晃を絶賛したりっていうことがあって、・・・中沢さんは中央大学で人類学を教えられてて、オウム事件があった年の夏ぐらいに生身の中沢さんを見てみようということで、もぐりの学生として中央大学に行ってみまして、中沢さんの講義を生で受けると、率直に言ってすごいペテン師臭がした。この人はちょっと違うなと、生身の中沢さんを見たら僕の中でオーラが消えまして。まともな学者じゃないんだなっていうのが・・・はい。それで別の道を探そうという感じになりました」
モーリー「オウムの後、鳴りを潜めていたが、3.11の後、反原発・脱原発で盛り上がったときにに、グリーンアクティブっていう団体に津田大介さんと中沢新一が名前を連ねていた」
大田「その時は僕も色んなメディアでインタビューを受けて、中沢さんや宮台さんがやる運動には、一切近づくなという警告を発していた」
ブログ主:『虹の階梯』は、浅原彰晃が信者に与えたとか、著者を講師として迎え解説させたとか、オウムのネタ本だということで、割と有名です。
宮台真司
『終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル』を「本当にくだらない本」と評価。
大田「宮台さんなんかも『終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル』って言う本を書いた後に、疑似宗教団体みたいな『サイファ覚醒せよ!―世界の新解読バイブル 』みたいなアホっぽい本を書いて、ちょっと教祖がかってましたよね。どんな質問にも答えるみたいな」
大澤真幸
『虚構の時代の果て―オウムと世界最終戦争』を「意味不明の本」と評価。
島薗進
『現代宗教の可能性 オウム真理教と暴力』について、
大田「島薗先生はこのなかでは一番謙虚で慎重な学者肌の方なんですけど、この5人を総じて言うと、やっぱりニューエイジ系の人たちですね。だから、この世をスピリチュアルに革命を起こしたいみたいな、そういう人達」
島田裕巳
『オウム-なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』について、
大田「この人はヤマギシ会で洗脳された人で、そしてカルロス・カスタネダのビリーバーです」
5人の共通点
大田「この5人の人たちは、何かと言うと、若いころの悪い癖が出て、社会を変革しようとか言い出すんですが、一切関わらないほうがいいです。本当に時間とお金をドブに捨てるようなことになってしまうので、要注意です。
学者というよりは活動家であり、たぶん革命家とかになりたかった人たちが何故かアカデミズムの中に入ってきちゃったという人たちで、(中略)3.11みたいな大きな事件が起きると、若いころの悪い癖で日本には未来はない、俺が革命を起こさないとダメだみたいに言い出すんですよね。
本当の学問というのは、こういう人たちの非常に分かりやすいペテンみたいなものをちゃんと見抜いて相手にしないようにするっていうのが本来の学問なので、真逆ということを覚えておいて頂きたいですね」
非常に率直で明快。
この本をM2の宮崎氏が複数回紹介したというのも少し感慨深いものがありますが、これほどまでに真正面から批判してくれた大田氏に、わたしは興味を持った。
で、ぜひこの『オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義』を読んでおこうと思っていたんですが、購入の際、うっかり横に並んでいた同氏の『現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇』を買ってしまいましたw
『現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇』
オウム事件が日本において全く整理されていないという、無知なわたしなりの漠然とした不満と、新興宗教やスピリチュアリズムの世界的な流れについて自分の中で整理されていないというモヤモヤ、そしてそれらに対するわたしなりの批判的な分析が線にもならず点在したままの状態が長年不快だったんです。
要するに、オウムのことを考える前に、基礎知識としてまず全体の流れを知りたかった。
こんな動機で読んでみたんですが、コレ面白い。
どんな流れを経てオウム真理教や幸福の科学が生まれたのか、そしてこのような教団がどのような流れを辿るのか。非常に分かりやすく納得のいく話。
「霊性進化論」
この本で大田氏が「霊性進化論」と呼ぶ、人間の霊魂が輪廻転生を繰り返しながら永遠に霊性のレベルを向上させるという考え方、突き詰めると、人間の存在を霊性の進化と退化の二元論で捉える考え方は、冷静に見渡すと驚くほど様々なところに横たわっている。
この「霊性進化論」が近代においてどのような理由で受容され、どのような特徴を持ち、どのように広く展開されてきたかも紹介されるのだが非常に興味深かった。
宮崎哲弥氏の輪廻転生論
話が逸れるが、輪廻転生について宮崎哲弥氏が以前言及したことがあって、わたしの理解では「輪廻転生があると思って生きるより、人生は一度限りだと思って生きた方がプラスが大きい」という理由で否定的に語っておられた。念のため、この話は輪廻転生があるかないかの話ではない。
わたしはそれまで「輪廻があると考えたほうが道徳的にもいいだろう」と全く否定的な考えを持つことはなかったが、深い思考もなしに漠然と持っていたその考えを宮崎氏の発言によって「ガツーン」と砕かれたような衝撃があった。
その衝撃の理由は、自分自身で分かっている。
輪廻転生は厳しい一面もあるが、逃げ道となる甘えの一面もあることに気付いており、わたし自身その甘えに浴していたからだ。だから、宮崎氏の論がわたしにとっては正解で、ちょっと大げさかもしれないが、人生観が変わるくらいの衝撃だった。
話を戻して、あとがきでは「霊性進化論」について、
反省と研鑽を通じて、自らの冷静を進化・向上させてゆくこと。
まずこれを「正」の側面と認めたうえで、強烈な「負」の側面が3つ語られる。
幸福の科学の教えは特異ではない
大田氏の言う「霊性進化論」は幸福の科学でも見られる内容だが、これを突き詰めると、根底において他者に冷たい、差別的な世界が展開されるのではないかと感じていたわたしの考えともある程度合致して、個人的に整理ができた。
「ある程度」と書いたのは、「ある程度」以外の部分で意見が合致しなかったのではなく、わたしには考えも及ばない発見や知らない情報があったためデス。
さらに大田氏は「霊性進化論」が生み出すものは何かについても結論づけているのだが、その帰結にも納得する。
この本を読めば、幸福の科学の教えも、特異なように見えてむしろありふれたものであるという事も感じ取れる。わたし自身、幸福の科学の本は数十冊読んだが(ここ最近のは全く知らないけど)、それを思い返してみても見事なほど、これまでに継承されてきた発想のツギハギなのだ。
わたしは霊魂や輪廻転生を肯定も否定もする気はないが、「やっと人生の真理を見つけた!」などと簡単に喜び、人生を無駄にするようなことがないように気を付けたほうがいいと思う。
大田俊寛氏は自ら中沢新一信者だったというのが面白い。大田氏の場合は実際に生身の中沢氏の話を聞いてペテン師臭に気付いたというが、自らが一度傾倒し、その後怪しさに気づいて他の道を求めた経験を通った人だから、遠くから眺めて突き放した分析ではなく血が通っている感じがしたし、かといって反動で感情的に批判する様子もなく、とても読みやすかった。もう一度、じっくり熟読しようと思っている。
わたしのように、基礎知識がまるでない人でも容易に読める。
今度こそ宮崎哲弥氏推薦の『オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義』を読もうと思いますw