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朝日新聞元記者 植村隆氏の「恫喝裁判では」と疑われる訴訟に、元同僚の前川惠司氏が進言

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以前このブログにも書いた、朝日新聞元記者の植村隆氏が、「捏造」と書かれて名誉を損なったとして訴訟を起こしている話の続編。

まず、朝日新聞元記者 植村隆氏は訴訟を起こしている。

朝日新聞元記者 植村隆氏による、西岡力氏、櫻井よしこ氏、出版社3社への提訴

「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」の見出しをつけた『週刊文春』(14年2月6日号)の記事、西岡力教授の関連コメント、ジャーナリストの櫻井よしこ氏、新潮社などを相手に、「捏造」と書かれて名誉を損なったとして計3300万円の損害賠償や謝罪広告の掲載を求め提訴している。

「慰安婦報道」朝日新聞元記者の植村隆氏、アメリカで安倍首相や櫻井よしこ氏を批判

これに対し、歴史学者の秦郁彦氏は「スラップ訴訟」「恫喝訴訟」という言葉を使っている。
 

歴史学者の秦郁彦氏「威嚇効果は絶大」-「恫喝訴訟」か

この訴訟には代理人として170人の弁護団が全国から集まり、「インターネット上で植村氏や家族を脅迫する書き込みをした人たちも捜し出し、一人残らず提訴していく」と発表しており、これが「恫喝訴訟」と言われる理由のひとつになっている。
 

それにしても、弁護士っておかしな人が多いですね。この訴訟に170人もの弁護団が全国からわらわら集まるのも大きな違和感が。庶民感覚とは大きなズレを感じることや、極めて政治的なものを感じることも少なくありません。
ご関心がある方は、南出喜久治弁護士、日弁連や弁護士会を提訴「政治的声明は違法」 も読んでいただけたら幸いです。

 
これについて、朝日新聞元ソウル特派員でジャーナリストの前川惠司氏が言及した。

記事は下に引用したが、なかでも「植村隆氏が誠実に答えたと思われていない」というのは、全く同感だ。植村氏は自らを「バッシングを受ける被害者だ」と主張したり、講演で「I WILL FIGHT(私は闘い続ける)」と言ってみたり、少し勘違いをされているのではないかと思う。

植村氏は、反論しようとしたが上司らから「放っておけ」と言われ見送ったと言うが、「闘い続ける」というのなら裁判ではなく言論で、ひとつひとつ納得のいく説明をして頂きたい。

朝日新聞元記者 植村隆氏の元同僚、前川惠司氏の記事

記事のポイント

1 「恫喝訴訟」とまで言われるのは、彼が西岡氏らの様々な批判や疑問に手記や講演などで誠実に答えたと思われていないからだ。
2 当時、朝日新聞ソウル支局長が忙しかったから植村氏がソウルに出かけたというが、調べた限りではそれほど多忙にみえない。しかも、この弁解は意見陳述から消えている。
3 植村氏は8月10日にテープを聞くと、会うことも名前を聞くこともできないまま、その日のうちに出稿した。
4 彼は「24年前に書いた記事で激しいバッシングを受けている」として「自分は被害者だ」との主旨の主張を繰り返しているが、本当の被害者は、十分な取材なしの記事を読まされた朝日新聞の読者であり、考えようによっては、日韓関係だ。
5 反論しようとしたが上司らから「放っておけ」と言われたなどで、見送ったと書いているが、商業新聞の記事は社会的存在だ。反論することがあれば、その時に反論すべきだった

 

前川惠司氏の記事

事実は一つ。真実は見る人によって色も形も違う。裁判の判決イコール真実とはいえない。新聞記者の世界で、適切な記事だったかは、法廷でカタをつけられる問題なのか。

朝日新聞元記者の植村隆氏が、東京基督教大学教授の西岡力氏らを訴えた裁判では、170人もの大弁護団の一人が、提訴時に「ほかの人々も順次訴えていく」と宣言したことなどで、歴史学者の秦郁彦氏は、「金銭、時間、精神的負担を怖れる批判者への威嚇効果は絶大」であるとし、「恫喝訴訟」という言葉を使っている(産経新聞「正論」)。

この訴訟がそこまで言われるのは、彼が西岡氏らの様々な批判や疑問に手記や講演などで誠実に答えたと思われていないからだろう。

実際、疑問はまだある。韓国人の元従軍慰安婦の聞き取りテープからの、「思い出すと今も涙」(1991年8月11日朝日新聞大阪社会面)の取材経過について大阪社会部員だった植村氏は手記で、朝日新聞ソウル支局長が当時、南北朝鮮国連同時加盟問題など忙しかったので、植村氏がソウルに出かけたというが、調べた限りでは、当時のソウル支局長が書いた8月中の国連加盟関連記事は7本で、外報面トップの4段のほか、ベタ記事が4本。応援が必要な多忙さだったのか。そして、この弁解は意見陳述から消えている。

その意見陳述などによると、植村氏は8月10日にテープを聞くと、会うことも名前も聞くこともできないまま、その日のうちに出稿した。本来はテープを聞き終えたら、提供した韓国挺身隊問題対策協議会に、「やはり本人に確認しなければ、記事にできない」と注文し、会って、事実であろうとの心証を得たうえで記事にするのが、こうした取材の基本だろう。何百万の読者がいる一般商業紙が信頼に応えるとは、そういうことのはずだが、そんなに急いで記事にしたのはどうしてか?

朝日新聞を捲っていると、翌12日紙面には朝日新聞主催の「歴史認識」をテーマにした広島でのフォーラムの特集記事2頁があった。見出しは「過ちの歴史 率直に反省」。こうした紙面計画があると、同じテーマの記事がいつもより大きく扱われる。それを意識していたのか。特に広島は大阪本社管内で、大阪社会部員なら、東京本社を経ずに出稿できる。ここも気になる。

もうひとつ付け加えたい。彼は「24年前に書いた記事で激しいバッシングを受けている」として「自分は被害者だ」との主旨の主張を意見陳述などで繰り返している。しかし、本当の被害者は、十分な取材なしの記事を読まされた朝日新聞の読者であり、考えようによっては、日韓関係なのだそのことを、彼はどう考えているか。聞きたいものだ。

植村氏は手記で、月刊「文藝春秋」1992年4月号で西岡氏から最初に批判された時に、朝日ジャーナル誌上で反論しようとしたが、上司らから「放っておけ」と言われたなどで、見送ったと書いている。商業新聞の記事は社会的存在だ。反論することがあれば、その時に反論すべきだった。今度も、西岡氏や櫻井よしこ氏らと「朝まで生テレビ」で論争してけりをつければ、大弁護団など必要なかった。「恫喝裁判では?」と疑われる所以だ。

出典:SAPIO2015年7月号

第1回口頭弁論 2016年4月22日

第1回口頭弁論が札幌地裁で行われ、櫻井氏らは請求棄却を求める答弁書を提出し、争う姿勢を見せた。

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